親日路線をとる派
19世紀末期になると、欧米列強や日本、清などの介入が起こる。
結局1894年の日清戦争で日本と清が戦って日本が勝ち、清との冊封関係も消滅したことで日本の強い影響下におかれ、朝鮮は第3の区分に入った。
しかしこの時代は、国内的にはロシアと日本の対立に巻き込まれ、それに派閥の対立も絡んで深刻な政治状況に陥っていった。
親日路線をとる派は、親ロシア派や攘夷派などの妨害を受けた。
近代化論者の中にも親日派や親露派、攘夷派が混在しており、それが混乱に拍車をかけた。
日露戦争で日本勝利後は日本の影響力の向上に伴い宮廷内では親日派の力が大きく伸張した。
日本と韓国内部の李完用などは日本が韓国を保護国化・併合する方針を採り、一進会は「韓日合邦」を主張した。
日露戦争後の第二次日韓協約で日本は韓国を保護国化し、実質的な支配権を確立した。
1910年に日本と韓国は日韓併合条約を結び、ここに韓国は消滅した。
李氏朝鮮時代の特徴は500年の長きにわたって続いた儒教道徳に基づく統治である。
これは一面では身分制度を強固なものとし、誤った差別意識を助長したり、現実に沿わない外交、内政を支配者に行わせる原因となった。
結局1894年の日清戦争で日本と清が戦って日本が勝ち、清との冊封関係も消滅したことで日本の強い影響下におかれ、朝鮮は第3の区分に入った。
しかしこの時代は、国内的にはロシアと日本の対立に巻き込まれ、それに派閥の対立も絡んで深刻な政治状況に陥っていった。
親日路線をとる派は、親ロシア派や攘夷派などの妨害を受けた。
近代化論者の中にも親日派や親露派、攘夷派が混在しており、それが混乱に拍車をかけた。
日露戦争で日本勝利後は日本の影響力の向上に伴い宮廷内では親日派の力が大きく伸張した。
日本と韓国内部の李完用などは日本が韓国を保護国化・併合する方針を採り、一進会は「韓日合邦」を主張した。
日露戦争後の第二次日韓協約で日本は韓国を保護国化し、実質的な支配権を確立した。
1910年に日本と韓国は日韓併合条約を結び、ここに韓国は消滅した。
李氏朝鮮時代の特徴は500年の長きにわたって続いた儒教道徳に基づく統治である。
これは一面では身分制度を強固なものとし、誤った差別意識を助長したり、現実に沿わない外交、内政を支配者に行わせる原因となった。
update:2010年02月22日
